2018年1月6日土曜日

建築基準法の前身は?

■今日の今日まで…

現在の建築基準法(昭和25年(1950)法律第201号)の前身は、市街地建築物法(大正8年(1919)法律第37号)〔以下「物法」〕*1だとばかり思い込んでいた*2

*1 http://www2.ashitech.ac.jp/arch/osakabe/semi/hourei.html

*2 もっとも、学校の校舎については、昭和9年12月に、同年9月の室戸台風による教師と児童の多大な犠牲を受けて「学校営繕ならびに保全に関する訓令」が制定されて、構造強度の強化が図られ、これが同11年9月に制定された物法の特別法である「特殊建築物規則」に取り入れられている。http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317687.htm

■しかし…

今日になって、それ以前の時期でも、(いずれも当時は内務省隷下の国家機関だった)警視庁や道府県の地方警察命令によって、主として住宅の衛生面について様々な規制が府県単位で行われていたことがわかった*3

 その先駆けは明治19年5月14日付の大阪府令甲75号「長屋取締規則」といわれているが、東京の場合は、20年ほど遅れた明治40年1月19日付警視庁令第3号「長屋構造制限」がその始まりのようである*4

*3 斉藤和夫・赤崎弘平公平「明治期建築規制関係地方令規が期待した住宅建築の環境条件に関する研究」p.5
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www.jusoken.or.jp/pdf_paper/1986/8514-0.pdf>
*4 この警視庁令は、明治42年8月18日の大阪府令第74号「建築取締規則」が踏襲したようであるが、床下の高さについて東京は一尺以上と規定しているのに対し、大阪では高さ一尺五寸以上に制限していたとのことである。
村島生「ドン底通信 (1-14)」大阪毎日新聞 1917.12.1-1917.12.17 (大正6)
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http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10065836&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1>

■この種の規則は…

主として、日照・通風などの面で劣悪な住環境となりがちな、いわゆる「裏長屋」の衛生面に対する配慮によるらしいことは、警視庁令の3条の規定

第三条①長屋の構造は左の制限に従ふべし。但し土地の状況又は構造の方法に依り本条に依り難きときは予め所轄警察署長の認可を受くべし。
    一、  
一棟の戸数は十二戸以内たるべきこと
    二、  幅九尺以上の通路に面せしむること
    三、  屋後及び側面には幅三尺以上の空地を存すること
    四、  床下の地盤は前面の通路面より高からしむること
    五、  敷地の土質不潔なるときは更に盛土をなすこと
    六、  建物の土台下には支石を布置すること
    七、  床下の周囲には適当なる換気設備を為すこと
    八、  住屋の床は地盤上高さ一尺以上たらしむること
    九、  床板は容易に取外し得る様施工すること
    十、  住室の天井は床上高さ七尺以上たらしむること
    十
一、屋根には軒樋及竪樋を設くること
    十二、一戸毎に出入口の外適当の換気採光設備を為すこと
    十三、共同便所を設くるときは前面の軒下以外に於て少くも六戸に一箇所を設くること。

        但し共同便所には尿槽を附設するを要す
     ②衛生上特に必要と認むる揚合は地域を指定し前項以外の制限を命ずることあるべし


とあることからもわかるが、火災による被害の軽減や伝染病に対する防疫にも有益な規定も見られる。